蹄脚の漢。闊歩と歩けば雌に躓く
其の漢の脚は奇妙だ。
人の其れとは大きく違う。尻から伸びる四肢と成る部分が牛や鹿の物のように視える。
上半身は人のそれと同じなのに下半身は逞しくも極太い四肢を持つ。
茶色の毛が四肢を覆うから尚更に歪にみえてしまう。
極々単純に想像するならば神話に登場する事が多い二本脚で立つ牛の怪物が一番近いだろう。
正し上半身は人間の姿で有り太腿あたりからの四肢が牛の怪物の物になる。
当然と足先は蹄だ。コツンコツンと蹄を立てて大地を歩く。
当人に言わせて観ればこの方が歩きやすいと蹄を鳴らして答える。
興味本位に不思議に思い生れつきの体なのかと聞けば。
「そんなはずないだろう?好きでこんな体に成ったわけでもないんだぞっ」
結構真面目な顔つきでこちらを睨んで返してくる。
それならどんな訳があるのかと再びに問えば。
「良くも知らん御前に何で身の上噺をせねば成らんのだ」と蹄脚を地面に打ち付け鳴らしてやっぱり凄む。
季節も奔り御天道様も張り切って居ると言うのに旅人仕込みの燕尾服に袖を通すのも訝しげに思える。
上着には気を使ってもどの道四肢が蹄脚だから靴も履かない。結局半腿服の儘で過ごし膝から下を曝け出す。
粒で満たした塩海に五つとも七つとも浮かぶと言う大陸世界。
その三つ目の大陸の真ん中よりも少しずれた場所に有る交易都市。
古聖霊妖精族が名付けた都市の名前はとても発音しにくくもありそこに営みを求める人々は
【古柱塔の街】と短く呼ぶ。都市の中央に天空まで届けよとばかりに大きく太くも高い柱塔が有るからだ。
古文書を読み解けばこの大陸が海から迫り上がった刻から既にそこあったと言われる柱塔。
かつてこの土地は魔物が溢れ其れに利益を求めた人種人類との戦争の果てに魔物たちは
個の柱塔に逃げ込んだとも言われる。そして数百年が経ったとされる今であっても
魔物達は柱塔を住処とする。そして又。魔物を狩り生活の糧とする人種人類の輩も
又、柱塔の中へと日々に潜る。何時の時代も魔物と人の関わりは変わらない。
人は命を賭けて柱塔に登り潜り魔物の腸漁り皮を剥ぎ骨を砕き生活の糧にする。
然り其の逆に人種が魔物の餌に成るのは昨日も今日もこの先も人種である。
旧閥貴族シュレマーレ・ボムル・セレーヌは広い屋敷の一室でもじもじとやり場なく体を捻っていた。
夫の前に立ち尽くしてさえ居る。事有る事に薄くなった髪に手をやりなでつけながらも
自身の妻と成るシュレマーレを鍔を飛ばして責める。
「大体、御前は身勝手すぎる。時代が違うのだ。時代がなっ。
柱塔から得られる利益等に拘る時代ではないのだ。新しい時代の幕は上がったのだぞ。
これからは薬の時代だ。あの薬こそ真に我等に利益を与えてくれる物なのだ。
これからは新興貴族の時代なのだ。みすみす個の波を逃すのは愚行なのだ。
其れなのに御前と言う奴は・・・」シュレマーレの前イライラと右に左にと夫は彷徨く。
「薬と言っても麻薬で御座います。人種を堕落させる物で御座いましょう?
人種と民を貶めて利益を得る新興貴族こそ罪人では有りませんか・・・」
「ええい。煩い。この馬鹿妻め。他人が堕落しようが全く持って構わん。
儂の財産が増えればいいのだ。どれだけ苦労してあの品を仕入れたと思うのだ。
それを捨ててしまうとは・・・この馬鹿妻が・・・」
じたばたと手を振り上げる夫にシュレマーレはビクリと身を縮める。
話の筋は単純だ。
旧閥貴族シュレマーレの夫は爵位は有っても古い歴史の仕来りから抜けきれる事が出来ず
昨今に華と頭角露わにする新興貴族に勢いを削がれている。
何かに付け嫌味を言われる所がその地位も侵されつつもあった。
私財をつぎ込み世に云う冒険者共に金をばら撒き命を張らせ魔物を狩らせ戦利品を販売する
商売だけでは後から来た奴等が営む新しい商売が上げる利益には敵わない。
引き離される前に追いつくべき手段としてシュレマーレの夫は彼等の真似事に手を染める。
以前は格下と決めつけ相手にもしなかった貴族に下げたくもない頭を下げ
やっとの事で妻が麻薬と呼ぶ薬荷の仕入先を入手する。
問題はつい嬉しくて夕食の席で妻シュレマーレに話してしまったことだ。
その場では笑顔で頷いていたシュレマーレで有るが結構に大きな荷物であったにも掛からず
使用人共に言いつけて捨ててしまったのだ。
夫が気がついて使用人を問い詰め鞭を撃とうとした時にシュレマーレが名乗り出た。
「私の言い付けに従ったのです。鞭を撃つなら私を撃って下さい。」
「ぐぬぬぬ・・・」さすがに使用人を鞭打つのと自分の妻の背に傷を付けるのとは訳が違う。
それでも夫の怒りが収まらないのには訳があった。
大型荷馬車四台分の薬を買い付けるには大金が必要だった。
貴族であるからと言って急に大金を動かすのには手間も掛かる。
普段であれば証書で済ます事も出来るが闇商売となると現金が常でもある。
シュレマーレの夫は仕方なくあの漢の手を借りる事にする。
礼の蹄脚の漢で有る。奇しくも同じ旧閥貴族の部類に属するが評判は悪くこれも又すこぶる悪い。
都市内に幾つかの邸宅を持っても居るが彼が厄介なのは柱塔の事実上の持ち主でも有るからだ。
彼の本宅は柱塔の中に有るとさえも言われて居る。
世に云う正義と悪との区別も着かず。どちらかと言えば悪事の方が好みでもあろう。
同様に悪事を働く輩からも恐れられても居る。
彼が旧閥貴族でありながらも其の地位が低いと観られるのは其の全容がよく観えないからだ。
時に恵まれない人々に施しをしたと話が聞こえれば次の日には商隊馬車を襲い全員を殺して荷を奪うとも聞こえる。
庶民には人気が高い半面。商人や貴族からは嫌われる事も多い。
それでも大抵は機嫌も良く困った時には助けてくれる事も多い。
今回は薬を買う為の金を夫の代わりに立て替えてくれた。荷の半分を彼に渡すという約束で。
「ドンピクル卿・・・。私の薬を捨てたと言うのは本当かね・・・」
石造りの床にかつんかつんと蹄の音を起てながら蹄脚の漢は無遠慮に部屋に入ってくる。
「おお・・・これは。これは。実は色々と訳があってだな・・・」
「私が捨てました・・・。」髪の毛が薄い夫の代わりにシュレマーレはきっぱりと言い放つ。
「ふむ。ドンピクル卿。
私が出資し。其の半分の荷をこちらに渡すと言う約束だったはず。
それを奥方様が勝手に捨てたというのかな?」コツンと蹄脚の向きを変えシュレマーレを観て言い捨てる。
「あの・・・その・・・」しどろもどろに視線を落とす夫が情けなくも視える。
「夫が欲しがった薬は人々に害を与えるものです。だから私が捨てました。
大金を無駄にしたかもしれませんが救われる人々も居るのです」シュレマーレは凛と声を張る。
「人々に害を与える薬を買い求めたのは奥方の夫で有る。
儂は入り用となる代金を立て替えただけだ。其の半分をこちらに渡して貰う条件でな。
事の顛末はどうであれ。約束は果たされてないと成る。
人に害を成す薬であろうとなかろうと儂は実際に金を出し商品を受け取って居ない。
悪事で後うと約束は約束。この始末どうつけてくれると言うのだ。奥方」
ツカツカと蹄踵を鳴らし自分の事を儂と言うには未だ若すぎるだろうと言う漢がシュレマーレの前に立つ。
顎に手を添えシュレマーレを蹄脚の漢は視姦する。
早くに結婚したのは事実だし子にも恵まれても居ない。当然夫との営みももご無沙汰でも有る。
改めて夫以外の視線が注がれると急に羞恥心がこみ上げ乳房の前で腕を組んで少しでも観られないように努力する。
その分腰から下が無褒美になれば漢の視線が堕ちていく。
「あの・・・」吐息が掛かるほどに顔を寄せられるなら仄かに香る体臭さえ嗅いでるのかもしれない。
「ドンピクル卿・・・。此度の件。約束は守られなかったが。
貸した金を返してくれればそれで良い。期限も特に決めないとしよう」
蹄脚の漢は急に振り向くとこれも又ツカツカと蹄脚で足早に部屋を出ていってしまう。
「気が変わったらしい・・・。助かった・・・」夫が安堵のため息を付いて吐く。
代わりにシュレマーレは悪寒を感じぶるりと身を捩った。
置字
