五番人街


大漢中華狂和ノ御國の全ての事柄において椀・参豚は外れている。
その生まれこそ中流の階級生まれだから、その階級に属する椀・参豚であるから本来はそれなりの立場であるはずでもある。
肩を落としてはぁ~~とため息をつくのが癖である椀・参豚。
歳葉を数えて参十と半ばともなれば他の人よりは少々背も高く細めの体つきでもあるし
単純にそこだけをみれば以外にも筋肉質にも観て取れる。尤もそれは参豚の仕事の影響だろう。
この國で参豚は確かに底辺に属している。当然にできる事も仕事も限られている。
底辺に属する理由は兎も角として参豚が営む仕事は清掃業務である。
街の一切の清掃業務を担うのが参豚であり。参豚が似合う清掃業務は以外にも多い。
主な業務と云えば街の住民が朝に出す日常ゴミの収集だ。
基本的に住民は朝の決まった時間に集積所にゴミを出すからそれを集める収集人達は
それよりも早い時間に当然に起床する必要がある。
朝日登る前の暗い時間にあたふたと起き出して収集車に乗り込む。
参豚は街の幾つかの区画を担当してるから週の内ほぼ毎日をこの仕事を主にこなしてるし
実入りを考えればこの仕事が一番良いだろう。
朝早くに起きてゴミを車に詰め込み運んでしまえばそれで終わりとなれば
その次は民間の会社から依頼を受けてビルや商店街の清掃業務にも精を出している。
こっちは当たりハズレも多い。時には高いビルの摩天楼から命綱一本で体を吊るし窓拭きもあるが
これは技術も必要であるし競争も激しいから一年に壱、弐回出来れば良い方だ。
大抵は飲食街から出るゴミの収集とか果ては貧民街を回ってゴミを集める事が多い。
結局は仕事としてあちこちからゴミを集めるのが仕事になっている。
尤も幾ら働いても手にする賃金も安い。
体を動かし身を粉にして幾ら働いても参豚の財布に入る金額はある一定の金額をう上回る事はない。
自分の時間を売って就労に勤しんでも一定の金額を手にいれる事は絶対にできないのだ。
社会的なしくみと言ってもいいだろう。
社会の就労制度として仕事の給料は常に週一回の支給となっている。
月曜から金曜までの就労した金額を公安自民管理局と言う御國の期間が集計し翌週に該当者の講座に振り込む。
その段階で該当者の番付を査定し鑑みて給与を支給する制度である。
もしこの時、決められた金額以上の給料が発生したとしても自動的に減給される。
五番格付の者の給与には上限が設けられているのだ。
つまりは贅沢させずに最低限の生活を無理に強いている。
他国では違う意味であろう言葉の番付。更に何やら不穏な気配をも感じる公安自民管理局と言う組織。
どちらも椀・参豚は親の仇か怨敵かと言うほどに憎んでさえいるし
その名前を噂風に聞いただけで眉を潜め途端に期限も悪くなる。
先に番付と公安自民管理局の意を紐解くならば。
この國には身分制度がある。正式には国民番付制度と一部に残る精神的な身分制度よりも根強い。
壱番から五番までの位に整理されるそれの内、参豚は当然五番の位だ。
一番付が國を収める大國主とそれを囲う一族と國政を司る筆頭役員
弐番付が國政を支える上級役人と民間でも商売などで覇を成した財閥の当主
参番付はそれに類しない中級・下級役人と一般庶民の大半の者達。
4番付も前にならうが少々訳有りだったりする者やある程度のはみ出し者である。
一般市民でも有りながらいってみれば社会の底辺に近くも犯罪絡みに手を染めた者等
まぁ、この國の警察軍力は高く千にも万にも届く友いわれる厳格な法律の力で処された経験のある者である。
最初こそ一般的な番付けであったとしても当人には当人の事情と意思で良からぬ事に手を染めた輩が
遅かれ早かれ公安警察軍に処罰される段階で四番付へと貶される。
國民の大半が一つの番付で一生を過ごすのが普通であっても一度でも犯罪を犯せば発覚逮捕の段階で
強制的に四番付けへと直ちに手続きが行われる。
犯罪を犯し逮捕となった翌日の新聞に顔写真と名前が掲載されるのはわかっていても後々の人生が
悪い方向へと転がりだす最初の出来事となる。事実上に人生の落伍者とレッテルを貼られると言うことだ。
何かの拍子に意図しなくても四番付となった者はその後の将来に悲観して國から逃亡を余儀なくされるか
自分で三途の川を渡ろうと駅のホームから列車に飛び込む輩も後を絶たない事も確かに多い。
五番付・・・。
國の民の格付け一番から四番までの格付けの中で國民達が人生を生きるとするならば
五番と言う番付を割当てられた人物は最悪である。
五番付の番付者はまず自分で住居も仕事も活動範囲も自分で聞ける事は出来ない。
参豚の場合はその中でも五番付弐等級と言うものであり、これは最低番付の一個上でしかない。
行き先を制限される五番付弐等級の参豚には終日に随行員と言う見張りがついている。
一応は当人に気づかれない距離を保ちつつではあるが随行という名の監視と言える。
五番付弐等級の参豚が定められた範囲より外側に移動しようとした瞬間に
影から随行員が飛び出して来て参豚を抑え込む。
どうしても範囲から出る必要があれば必ず三日前までに公安自民管理局詰め所に届けを出さなければならない。
普段はあまり気にする事はないと言っても随行員がいなくなるわけでもないから気配は常に有る。
結局は常に鋭い監視の視線を背中に受けながら日々を過ごすのは苦痛でしょうがないだろう。
元々、あの事件に巻き込まえれるまでは椀・参豚は参番一等級の番付の家柄であり
ある程度は平々凡々とした人生生活を送っていた。
良くも悪くも安穏とした人生だったし満足もしていた。
個の國の時勢にとっても参豚が巻き込まれた事件は大きくも厄介な出来事であった。
後のその刻に庵龍の門事件と呼ばれるその事件は國の歴史から隠蔽されている。
刻の政治体制は完全一党独裁政治体制でありその党首に至ってはかなりに剛腕強欲であった。
元々、顔面対面上面建前を大事にする傾向の種族特性が強い民族であるし党首は癇癪持ちでもあった。
当時大学院に通い青春を謳歌していた参豚を取り巻く状況は変化の真っ只中にあった。
ある程度閉鎖的であった個の國であったが去る國との小さないざこざが争いになり
戦へと発展もする。急激に変化していく世情の波に押され台頭する軍務と癒着する独裁一党。
急激に変化していく戦中の中で巡る運の果に軍務は有る主の大量殺傷兵器を開発する。
実際の所、その能力は兵器を開発した科学者の想定よりも効果は大きかった。
軍部さえもその使用を暫くの間躊躇したほどである。
使えば戦に勝利出来る事は確実。必勝の一手でもある。
問題は一度でも使えばその効果は抜群であり想定以上の効果を生み出す。
つまりは人が死にすぎる。大量にだ。
使えば戦に勝てるがその後が大事になる。人を殺しすぎる兵器は歓迎されない。
戦には勝ちたいが使えば相手國ところか世界から避難される。
戦には勝ってもその後に世界中の御國から指を刺され批判される。
当然、世界中から避難され制裁の対象となるだろう。さすがの軍部としても躊躇した。
結果的には地団駄を踏んだ独裁政党の党首の声が吠え轟き下知を下す。
自分達で決断を下す必要がなくなったとその責任を政党党首に押し付け軍部は兵器を使った。
幸いな事と言えるとしても軍の想定よりも殺戮兵器の効果は大きくはなかった。
これ幸いと軍部は胸を撫で下ろしたが世界的に報道された惨劇は国内にも報道された。
最初こそ小さな騒ぎであった反戦の渦は一定の場所で一気に油を注いだように燃え上がる。
一種流行りの学生運動が巻き起こり学生は軍部を攻める。
意外なところから燃え上がる騒動に軍は眉を潜め渋る。
戦争で他國の兵士を殺すのは軍部とっては仕事である。
だが自國の民の鎮圧するとなれば話が違ってくる。
管轄外とそっぽを向く軍部に対し警察軍を纏める事実上の独裁者は怒り心頭に下知を下す。
それが災いだったのは軍が開発した兵器が縮小版とは云え警察軍も所有指定たことだ。
一党独裁であり全てを統括する刻の党首は躊躇しなかった。
自分の一言で人を殺傷出来る。少なくても政治的は合法とも言える。
軍人や警察官以外の立場で人を殺せるとなれば一種の優越感と快楽に浸りながら党首は下知を下す。
確かに限定的ではあった。
それでも効果は抜群でもあった。
確かに軍の想定よりは限定的であったとしても兵器である。
学生デモのど真ん中で使用された殺傷兵器は独裁者が快楽に溺れるままに下知を下したが
予想以上に人を殺傷した。血気盛んであれども青春を謳歌する学生達を殺傷した。
その事実は公的に隠蔽されたが完全ではなかった。
事実は事実であり歴史である。
全てを隠蔽しても事実は残る。死人に口なしと言っても生者にはそれが有る。
その時は口をつぐんでもいつかは話し出すかもしれない。
独裁者が倒れ時代が変わっても監視は必要であった。
そしてその事件の渦中にいたのは確かに椀・参豚である。
血気盛んに反戦デモの渦中の中心にいたのは椀・参豚である。
思い出したくない事件であるがそれ以来、政府は椀・参豚の番付を五番に貶し
行動範囲を制限し生活を抑制し常に随行員に監視させる。
それが椀・参豚に強いられた生活はもう十年以上続いている。


「嗚呼~~。御・・御兄様の竿・・・美味しい・・・」
コンビニの裏のもっと置くの裏路地。廃家が並ぶ奥の裏路地。
爛れた皮膚の顔を歪め溜息を漏らす参豚の漢竿を白い手で握り細い指でしごき
少し厚ぼったい唇を半開きにしてしゃぶる少女が酔った喘ぎを漏らしてる。
國の公安自民管理局に常に監視されているとは云え
衣食住と人をしての欲求と生理現象までは制限するのは難しい。
最低限とされてはいても抑制が強すぎれば要らぬ揉め事につながるかもしれない。
偶然と邪な欲望が交わり屋外で常時に耽る参豚と女学生を目を逸らさず監視しても黙認する随行員。
「美味しい・・・・美味しいの。御兄様のおちんちん・・・」
握る竿をベチャベチャと舐め回しじゅるじゅるとしゃぶり尽くし恍惚と目を少女は潤ませる。
「もっとっ。もっと奥まで加えろ。喉の奥まで咥え込め」
「ああっ。御兄様。素敵・・・げふっ」
無理に頭を抑え込まれ咽びながらも竿を喉奥に突っ込まれる苦痛と快楽に酔いしれ
嗚咽を漏らし股座を少女は濡らしてる。
裏路地と云えども屋外で勤しむ少女と参豚の情事。
まぁどうせばれているとおざなりに影に潜み少々苛つきながら様子を伺う随行員は頭の中で
國制定法律を思い出しながらも参豚の行為の是非を考慮反復する。
大漢中華狂和ノ御國の國民。得に女性を巡る環境と思想は随分と変わっている。
他国他人からみれば男尊女卑の極みで有ると言われてもいる。
古の昔。建国の有る時期まで多少の強弱はあっても。
確かに家長制度が色濃くのこっていたのは他国でも同じであったかもしれない。
歴史の中で生まれ淘汰される幾つもの出来事の中でいつしか現れる人るの宗教。
一風代わり独特の宗教体系と信仰すべき対象。他の物と比べそえは大きく違っていた。
教えを起こした経典を記した大坊主は一風も癖も有り変わっていた。
悟りを開くために大仏の前に壱枚の座布団を床の上に敷き座り込む。
念仏を唱え経典を書き起こす以外の事を大坊主は行わなかった。
飲料の器さえ自分で持つ事はしない。食事の際に箸も持たない。
飲食の全てを行なわない以外にも全てを自分では行わなかった。
結果的には周りの者が大坊主の世話をする事になる。
最初は漢坊主が周りの世話をしていたが一人二人と女性が混じれば坊主の癖に色も交じると
身の周りの世話をするのは女性のみと経典に記される。
それを守れば公然と門を跨ぐ信者も女性が多くなり大坊主の世話をするのが誉れと信じられる。
信じれば信者は大きく増えると色々と変化も起きる。
大坊主が逝去した後の乱世と過渡期が収まりつつ有る頃になると記された最初の経典は大きくも変わっていた。
漢児たる者。御名子と雌を周りに侍らせ飼い込むべし
御名子と雌成る者。主人漢児に仕え所持される事を誉れと重んじるべし
今のこの時勢にも広く信仰される大坊主の格言であれど。
いやはや何とも言いがたし物としても國の教えと國教として覇を成してもいる。
今の時勢にそぐわないと思われるやもしれぬが個の國では当然当たり前の事と受け入れられている。
國制定法律に正式に刻まれているほどに人々の中に浸透している制度伴っている。
他国では多様の形は違えども一生の伴侶を得ると結婚と言う絆を結ぶ事になるのであろうが
この國では違う。
普通の番付に属する漢性は一定の時期か独自算出される点数の蓄えを浪費して女性を飼って所持する。
対して女性は若い時期はそうでなくても適齢を迎える時期になると主人と成る漢性に
所持・所有される事を夢観て身を焦がす。
外から観れば目をそむけて久しい事であるが國中の民は女性は当たり前の事とも受け入れている。


久しぶりの休みの日。
日々の労働で疲れ果てる椀・参豚。
疲れ果て仕事終わりになんて買い出しとか出来ないから食料も日常品も家にはないに等しい。
狭くても我が家で有る築五十年以上のぼろアパートの薄煎餅布団の中で午後遅くまで惰眠を貪り
やっと起き出して近くのスーパーまで買い出しへと出かける。
その行動は制限されているとは云え生活必需品を手に入れるくらいへの場所へは足を伸ばせる。
椀・参豚は自分が許可されている事。いない事を正確かつ厳密には隠している。
その日・・・・買い出しへと出かける椀・参豚。
旗から観れば。もとより目立つのはしょうがないしだからこそ椀・参豚が商店街を歩けば
周りの庶民は眉を潜めて空間を開ける。
ひょろりと高い背だけを観れば少しは邪な視線で見つめる女学生がいたとしても
盗み覗きこむ顔に驚きそっぽを向いて我知らずと平静を装う。
椀・参豚の顔半分爛れている。きちんと観ればそれほどひどくもないのであるが
普通とは明らかに違うしやっぱり目立つ。
例の庵龍の門事件の時、警察軍が使った殺傷兵器は水溶性の物であった。
腐敗成分を大量に含む液体兵器の霧を参豚は諸に浴びていた。
本来は致命傷になって当たり前の状況であったのだが足元に落ちて爆散する腐敗弾であったが
偶々、参豚の前には戦友とも呼ぶ友が重なり立っていた。
参豚自体も確かに腐敗霧を被ったがその大半は友人がまともに受ける。
数秒の内に友人は皮膚を燃やし腸を崩し骨となって床に転がった。
弐回目に腐敗弾が床で弾ける前に参豚は床に転がり生き延びる。
大学の級友と言う輩の犠牲を払えば何故自分が前に立ってなかったのだろうと
後悔の自念ばかりが胸を突き上げる。
未だその刻ではないと運が巡っても後悔ばかりが後に立ってしょうがない。
顔面を含むもその半身を腐敗弾の火傷跡で皮膚が爛れる参豚。
人の目には有る主化け物にも見えて当然だろう。
普段ならフード付きの衣服を着込んだりないかしらの方法で出来るだけ人目につかないように
気を使う参豚であったが先日の仕事の過労がたまり迂闊にも素顔のままであるから余計に人目についてしまう。
「くちゅんっ」
大の大人にしては少々可愛げの有るくしゃみを参豚は身を振るわあせて吐き出す。
何もない時は弐回から参回連続で出てしまうからこれは知らせに違いない。
参豚としては兆候でもあり大抵の場合それは的を得る。つまりは厄災に巻き込まれると言うことだ。
人は其の生涯という道を歩む過程で厄災に出会う事もあ有るだろう。
それが一度で済めば幸いで。弐度目以降となれば災害にも思えるだろう。
二度目に起こる厄災に驚きたじろぐ者が大半であれば、稀には過去のそれより小さい物であったり
あるいは大きくても過去の厄災を経験として消化して冷静に対処出来る者もいるのだろう。
椀・参豚は後者だった。
少しぼやける意識と仕事疲れでだるい四肢を引きずり歩く商店街。
結構広くも長い通路に屯する黒頭の人々の誰かが悲鳴を上げた。
思いも掛けず轟き響く金切り声とかさなる悲鳴。
黒蟻の巣に雨水が一気に襲うように商店街の広い通りを鉄の塊が迫ってくる。
波の如く左右に別けて人々が右往左往と逃げ惑う様が迫ってくる。
商店街と云えばこそ車止め成る物が末透けているはずであるが、何かの拍子に上手く避けたのか
強引に壊して突っ込んで来たのかしれずとも結構大きな車体の暴走者がこちらに突っ込んでくる。
絆を結ぶ夫や養う子の為に妻が歩く商店街。
青春を謳歌し学業に邁進する学徒達。日々の商売に精を出す商人。
平和であるはずの空間と時間を引き裂いて鐵の車が暴走して来る。
車中の中を除けば目を血走るも大声を開けてハンドルをがっしりと握り一人でも多く
轢き殺してやろうと獲物を狙って突っ込んでくる。




















































